新型スイフトRSマイルドハイブリッド

可愛い車だ。

 

f:id:watenarai:20170529070345j:plain

畑とコーヒー

少なくとも10年前?15年前は書くことが好きだった。一般公開していた文章のページ、今でいうブログですが、そこには文章だけで毎回読みに来てくれる常連さんも付いていたしなんであの時に今みたいに考えなかったのかなーって思ったりもするけど色んなことがあって文章を書くことと書いた文章を公開することが怖くなった。どんな時代のどんな世の中にも誹謗中傷する人っているのですよね、残念だけど。しかももっと残念なことはそれに遭って公開することと書くことをやめたこと。文章書かなくなったら小学生みたいな文章に戻るのかね??

それはそれとして、今ハマってるもの。改めてハマり出したことがあります。コーヒー、好きです。今の世の中って良くも悪くも素敵。初めてコーヒーを店で飲んだのは19歳の時。大学の裏のおじいちゃんとおばあちゃんが二人でやってたコーヒー屋(おばあちゃんの手作りケーキが美味しい)で飲んだガテマラ。そこはあの二人でやっていたってこととあのゆっくり流れる時間が良かった。(ひとつ脱線すると、私は雰囲気のいい店が第一に好きで、第二にその店が好きな人とお客さん同士で仲良くなるのが好きで第三にカウンターがあって中の様子が見えて、第四に店の人の人柄が好きで、その上でできれば好みの味のもの)とはいえ例に漏れず深煎りコーヒーのみの店だったし、今もコーヒーといえば深煎り店が多い。今でこそ東京とかの大都市ならサードウェーブの波に揉まれて最先端の小さな店が切磋琢磨しているけれど。地方都市の小さな町ではやっぱりコーヒー屋って言ったら深煎りの店ばっかりなんです。今住んでいる町にスペシャルティのコーヒーを扱う店は皆無です。スペシャルティが一概に良いとも言いませんが、質の良い生豆が輸入されるようになったのはこの20年の進歩だと思います。昔はあんなに質のいい豆、きっとなかったもん。だから深煎らなきゃいけなかったんでしょ?素質というか資質というか、食材の持ってる本質をそのまま味わえる浅煎り、または中浅煎りで軽めにドリップできる、または味わえる今の世の中が嬉しい。

 

話が飛びます。というか私は話が飛びます。御免なさい。

 

コーヒーの話出たけど、畑の話は今回はいいや。またの機会に。あと明日、ちょっと嬉しいことがあります。車がやって来ます。新しい車。ワクワクしっぱなしです。車がないと生きていけない県にやってきて半年。今度またこの話します。

 

 

 

ガテマラをエスプレッソでいただきました。

 エスプレッソにあんまり良い思い出なかったんですけど

なかなかどうして、美味しかった(^^)

柑橘系の爽やかな酸味が派手すぎず、落ち着いて踊る感じ。

f:id:watenarai:20170526221044j:plain

きっとケーキを横にスライスして生きてきた

f:id:watenarai:20170523223725j:plain

んじゃないかと思う。ケーキは上から下まで層になっていて、全部縦に切って1ピースなのにきっと上・三分の一をスライスして一番派手な部分だけをすくい取って生きてきてしまったんだろうな。楽しみの上澄みだけを味わってきたことに耐えられなくなってきたに違いない。間の部分も、下の記事の部分も全て味わってようやくケーキを食べましたって言えるんだろうけど。それに気づいたので今は中の部分と記事の下部分をやり始めたところ。そんな感じ。

 

どうやらそれは恐怖からくるもののようだ。現実を直視したくないが為に具体化を避けたい。しかし現実を避ければ避けるほどやる気がなくなっていき、これ本末転倒。目的に近づいているかどうかわからなくなれば、具体的な理解・全体的な把握がなければ自分がやっていることが何につながっていくのか、どこに向かって走っているのか構造的な理解ができなければまた具体的にわかることを避けるという悪循環。

まずは全体を把握しよう。そして数字を落とし込むことで希望を具体化し、現実を飲み込むことでやる気を奮い立たせていく。たまには根拠のない自信も大切。自分の内から湧き上がる探究心が最も必要。やるかやらないか、またはやったかやってないのか、それだけ。

あと一気に全部解決できると思うな。思ってないけど無駄は少しにしたいという恐怖。この恐怖と戦うしかない。面白おかしく生きたいのであればなおさら。

 

 

 

写真は津金学校。

王様の耳はロバの耳と穴を掘って叫びなさい 1

2017年、すでに半分になろうとしている。誰に見せるわけでもないけれども同じ轍を踏まないよう未来の自分に残す。できるだけ毎日綴る。心の内を残すことを目的としているから日に何度も投稿することもあるだろう。いつからだろう笑うことを忘れたのは。ひとりでも寂しくないって思い込もうとした時からだったとおぼろげながら思う。固有名詞は伏せるけど完全に自己中に綴るので不愉快になる人がいるかもしれない。やめない。

 

「自己紹介」

38歳、2016年11月に地方に転居してきた、生まれ育ちは東京。

つーか半年前までずっと東京。

 

今年は田舎の方に引越しをして新しい会社で働いたところから始まった。が、健康上の理由ともう少し楽をしたいのかもしれない自分とその辺りにうまくつけ入ってきたA社に散々な目にあった。3月、仕事を辞めた。健康上の理由だ。ところが付け入ってきた社には「やっぱり雇うのヤメます」という笑いのネタにもならないセリフを吐かれ本当に一人ぼっちになった。

 

田舎の方は仕事が少ない。都会にいたとしても私にできる仕事はサービス業か飲食業に限られるが、田舎は絶対量が少ないためいい歳こいた私は応募に対する反応すら与えられないことが多い。今まで転職に対しては入りたい会社に必ず入ってきた私としては戸惑いを隠せなかったし始めて世の中を知った。1社受けたら必ずその会社に入ってきたのだ、今までは。自分がやりたかったことは必ずできていたのだけど、もうそれも適わないのね。

 

3社くらい弾かれた後で、次に入りたい会社に対して志望動機なんてありえない。少なくとも私にはない。会社に対して説明できる志望動機なんてないよ。そう本心で言っても受からないだろうけど、と言うところで割と本気で自分の居場所づくりのため自分で仕事を作ることを考え始めた。

 

あのね、主体性のない人は困るって世の中で言われていて自分はその類でないと半ば本気で考えてたのです。でも自分の人生を思い返してみると主体性がないとは言えないまでも結構楽な方向に流れてきたなーって思うことが多かったり、物事を良いように解釈したりしてきたなと思うわけなのね

 

有り体に言うと、覚悟がない・本気じゃない・素直じゃない。少なくとも昔は素直だったと思うのだけど、いつからこうなったのだろう。昨日とあるマナー講座に参加したのだけど、その場の僕の最悪さ加減に嫌気がさした。もともと大人数は好きじゃない、隣に必ず誰か知らない人が座るあー言う場所も好きじゃない。だけどよくある「じゃあ、この件について隣の人と少し話してみてください」と言う講師の方のセリフの後、「悪気はないのですが・・・すみません」と一切隣の優しそうな年上の男性と話をしない上に、講師の方の目が見れない。んー、何に対して腹が立っているのか自分でもわからないけどやり場のないイライラ感に苛まれていた。

 

言われなくてもわかってます。最悪です。

 

実はこの日は時間を間違えた。14時開始を13時半開始と思い込んでいて、45分早く会場入りした。別にそれによって先方には迷惑をかけていない。1時間前から開いていたから。ただ自分自身で消化できなかった、その事実。ただそれだけ。つまり子供なのね。

 

この会の前にコーヒー屋さんに顔を出して2種類のコーヒーを飲んだ。店主の方と話をした中にも自分自身がやりたくてもやってこなかった時間の後悔だけを感じていた。やるやる詐欺だ。僕は色々言い訳する。

 

それらはそれらとして。少しでも建設的に話をしたい。とにかく、3月末に仕事を辞めた。4月と5月はGW中にアルバイトを少ししながら、転職活動もしながら、パソコン教室に通いながら、じゃあのんびりしたらいいじゃないかと自分に言い聞かせながら過ごしたのだけど結局色々なストレスが入り組んでいてのんびりできない。不毛な日を終えて(それでもアルコールに対して弱くなってしまっているため)缶チューハイを買って帰って飲む気分悪くなる頭痛い夜眠れない気分悪いと言うこの悪循環。考えなくてもわかるこの悪循環。

 

正しい生活をすれば少しは歯車が健康に向かうのではないだろうかと考えているところ。すでに不健康極まりない思考ではある。健康自体は問題ない。朝起きる昼動く(昼寝ない)夜寝る、だけは絶対的に自身に対して強制しているから。

 

最後まで考え抜かないことが自分の中の常識と化しているところが良くないところなのかもしれない。自分の居場所は自分自身で作るしかないのだから今からでもやるしかないんでしょう。あ、他人事ってことなのか。

 

趣味は手広い。気になったことはとりあえずやってみる。一つの趣味を一旦終わったかなーって思っても人生上でやめたわけじゃなくて自分の中ではちょっと横に置いていてなん年後か何十年後か知らないけどまた気になったらその続きからやる感じ。明日かも知らんけど。思い立ったが吉日の性格に助けられているせいか行動は早い。フットワークは軽い。また行動力のベクトルも多岐にわたる。思い込みが激しいが、発想の転換が自在である。一人嫌いの一人好き。昨日西へ行っても今日は東へ明日は海中へ潜り出してもこれ日常。自分なりの論理と倫理がある。手先は不器用、思考も不器用。突然始める、動機が不明(と周りはよく言う)だけど自分なりのつながりは当然ある。説明しにくいのでよく端折る。この辺が間違いの元なのはわかってるつもり。和の中心にいる人に憧れる。でも話が下手なので本当に人が集まってきたら悩むと思う。

 

なんかげんなりしてきたので仕切るために一度終わる。

5月っぽい写真載せとく。

f:id:watenarai:20170522111430j:plain

鶏を飼うというリスク

一般人が鶏を飼う場合最低でも、鳥のふん尿はすみやかに処理し、鳥小屋の定期的な清掃・消毒を行う。その際は手袋とマスクを着用する。ねずみやハエなどの駆除を行なうとともに、野鳥または野鳥のふん尿が鳥小屋に入らないように注意する。野鳥が飛来する池や川の水を取りの飲み水に使用しない。飼育小屋に出入りする際には専用の長靴を用意して入口には「踏み込み消毒槽」を置き靴裏を消毒する必要がありますがこれらの対策は大丈夫ですか。

 

野鳥の糞尿やネズミ・ハエなどの害虫の侵入を拒むために養鶏業者は外部との接触を極力絶っています。養鶏場そのもので直売を行なっていないのはその為です。宅配業者の車両の出入りなど外部との接触も極力避けるため養鶏場への出入りを制限しています。糞尿は柔らかく臭いもあるため熱処理を加えないと処分の際にかなり困ります。養鶏業者でさえ経費のかかる問題です。2羽程度であればその量は大したことはないでしょうが。また鳴き声などの問題は隣近所に確認済みですか?都市部でなく山に近い場合は狐などを呼ぶことも考えられます。

 

不幸にも鳥の健康状態に異常があった場合には、速やかに動物病院に相談しなければなりません。万が一飼育している鳥が突然死亡したり、神経症状や呼吸器症状などが現れ、鳥が高病原性鳥インフルエンザを疑うような症状を示した場合には関係機関に連絡しなければなりません。野鳥及び野鳥が原因で飼育鳥が鳥インフルエンザに感染し、死亡した事例が起きてしまった際には周辺半径10kmの養鶏場の鶏に対して観戦のための立ち入り調査が行われます。一般人の犯した経緯から養鶏場が被害を被ることは好ましくありません。その補償などまで考えられていますか?一般的に鳥インフルエンザは鳥から鳥へ、感染るものですがごく稀に突然変異したものは人に感染します。病鳥や死鳥に触れたり、それらの内臓や血液や排泄物に触れた場合に感染する場合があります。また排泄物や散乱した卵の表面にはサルモネラ菌がいますのでこられの扱いには十分注意してください。大きな病気をしない限り3〜4年、長寿を保つ場合10年以上生きる動物です。最後まで面倒を見られますか?