わさびさんの日記

醸造や地域の魅力発信、ワインについてなど。日記もね。

甲州種

wikiが非常に良い内容なので、wikiに加筆したままです。

 

甲州(こうしゅう)は、山梨県固有の白ぶどう品種。生食用またはワイン醸造用として栽培される兼用品種である。甲州葡萄とも呼ばれている。甲州種の原産地はヨーロッパであるとされ(欧州種と一般的に呼ばれます)、日本での甲州種の発見時期に甲州市勝沼地域の上岩崎・下岩崎を発祥とする2つの伝承がある。弊社から300mくらいの、いわゆる隣の町名です。

 

一方の説は、文治2年(1186年)上岩崎の雨宮勘解由(あめみやかげゆ)という人物が、毎年3月27日に行われる石尊祭りに参加するために村内の山道を歩いていたところ、珍しい蔓草を発見したとする説である(上岩崎から柏尾山方面に歩いたものと思われます)。雨宮勘解由はこの蔓草を家へ持ち帰って植えたところ、5年後に甘い果実がなったという(実際、ぶどうを植えると最初の3年間は木に負担がかかるので、実が生っても落としてしまいます。世話を丁寧にしてあげて4年目に実ができれば生食に向き、5年目くらいからが最も生食に適していると言われています)。もう片方の説は雨宮勘解由に遡ること500年あまり、奈良時代の大僧行基がこの地に大善寺を建立した際に、ぶどうの木を発見したとする説である。これらの種が現在の甲州種であるとされている。ヨーロッパ原産の甲州種がこれほど古くからこの地区にあるのかなど、謎の部分が多い。江戸時代初期の甲斐の医師である永田徳本が、現在行われているぶどう棚による栽培法を考案したと言われている。

 

戦国期には日本におけるぶどう栽培を記した宣教師日記があるものの、考古学的には盆地西部の大師東丹保遺跡から中世の野生種ぶどうが出土した事例があるのみである。甲府城下町からは栽培種ぶどうが出土しているが、考古学的な栽培種葡萄の移入経緯は解明されていない。文献史料においては江戸期には葡萄をはじめ林檎石榴銀杏(または胡桃)の甲州八珍果と呼ばれる内陸性気候に適応した果樹栽培が行われ地域産物として定着しており、荻生徂徠甲州紀行』などの紀行文や『甲斐国志』などの地誌類には勝沼がぶどうの産地であることが記されており、食の図鑑である『本朝食鑑』や農学者としても知られる佐藤信淵らの紀行文中でも甲州物産の第一に挙げられている。

 

 

また、俳人松尾芭蕉は「勝沼や馬子も葡萄を食ひながら」の句を詠んでいる。正徳年間の検地帳によれば栽培地は八代郡上岩崎、下岩崎(国道20号沿い)、山梨郡勝沼村(弊社、東夢ワイナリーのある地名)、菱山村(町営ぶどうの丘がある地名)のごく限られた地域であったが、江戸など都市部を市場としてぶどうや加工品が生産され、甲州街道を通じて荷駄で江戸へ搬送された。江戸後期には栽培地が甲府近郊に拡大し、明治には殖産興業により産業化する。

 

江戸時代以前は生食専用であったが、明治期のワインの醸造技術が伝わると、出荷にむかない果実などを利用した勧業政策が山梨県庁主導で行われ、ワインの醸造が行われるようになった。ほとんどが、甲州種によるものであったが、その後、ワイン用の葡萄も栽培されるようになっていった。

 

太平洋戦争後の日本では、生食用にはデラウェアコンコードなど、アメリカから導入されたぶどうや、新しく改良された巨峰ピオーネなどのほうが人気品種になり、また、ワイン用にも、メルローカベルネ・フランシャルドネなど、フランス系の品種が多く栽培されるようになってきた。しかし、何百年も人々に親しまれてきた甲州種に愛着を持つ人も多く、山梨県を中心に生食用にも販売されている。

 

収穫が最盛期を迎えてきました。土着の葡萄だけに土地の食事、国の食事に合う口当たりになっています。和食、とりわけ魚や寿司に合うキリッとしたさっぱりな味わいが魅力の白ワイン品種です。