寝よ
言いたいことも言えないのは世の中のせいじゃなくて自分のせい。
畑とコーヒー
少なくとも10年前?15年前は書くことが好きだった。一般公開していた文章のページ、今でいうブログですが、そこには文章だけで毎回読みに来てくれる常連さんも付いていたしなんであの時に今みたいに考えなかったのかなーって思ったりもするけど色んなことがあって文章を書くことと書いた文章を公開することが怖くなった。どんな時代のどんな世の中にも誹謗中傷する人っているのですよね、残念だけど。しかももっと残念なことはそれに遭って公開することと書くことをやめたこと。文章書かなくなったら小学生みたいな文章に戻るのかね??
それはそれとして、今ハマってるもの。改めてハマり出したことがあります。コーヒー、好きです。今の世の中って良くも悪くも素敵。初めてコーヒーを店で飲んだのは19歳の時。大学の裏のおじいちゃんとおばあちゃんが二人でやってたコーヒー屋(おばあちゃんの手作りケーキが美味しい)で飲んだガテマラ。そこはあの二人でやっていたってこととあのゆっくり流れる時間が良かった。(ひとつ脱線すると、私は雰囲気のいい店が第一に好きで、第二にその店が好きな人とお客さん同士で仲良くなるのが好きで第三にカウンターがあって中の様子が見えて、第四に店の人の人柄が好きで、その上でできれば好みの味のもの)とはいえ例に漏れず深煎りコーヒーのみの店だったし、今もコーヒーといえば深煎り店が多い。今でこそ東京とかの大都市ならサードウェーブの波に揉まれて最先端の小さな店が切磋琢磨しているけれど。地方都市の小さな町ではやっぱりコーヒー屋って言ったら深煎りの店ばっかりなんです。今住んでいる町にスペシャルティのコーヒーを扱う店は皆無です。スペシャルティが一概に良いとも言いませんが、質の良い生豆が輸入されるようになったのはこの20年の進歩だと思います。昔はあんなに質のいい豆、きっとなかったもん。だから深煎らなきゃいけなかったんでしょ?素質というか資質というか、食材の持ってる本質をそのまま味わえる浅煎り、または中浅煎りで軽めにドリップできる、または味わえる今の世の中が嬉しい。
話が飛びます。というか私は話が飛びます。御免なさい。
コーヒーの話出たけど、畑の話は今回はいいや。またの機会に。あと明日、ちょっと嬉しいことがあります。車がやって来ます。新しい車。ワクワクしっぱなしです。車がないと生きていけない県にやってきて半年。今度またこの話します。
ガテマラをエスプレッソでいただきました。
エスプレッソにあんまり良い思い出なかったんですけど
なかなかどうして、美味しかった(^^)
柑橘系の爽やかな酸味が派手すぎず、落ち着いて踊る感じ。
きっとケーキを横にスライスして生きてきた
んじゃないかと思う。ケーキは上から下まで層になっていて、全部縦に切って1ピースなのにきっと上・三分の一をスライスして一番派手な部分だけをすくい取って生きてきてしまったんだろうな。楽しみの上澄みだけを味わってきたことに耐えられなくなってきたに違いない。間の部分も、下の記事の部分も全て味わってようやくケーキを食べましたって言えるんだろうけど。それに気づいたので今は中の部分と記事の下部分をやり始めたところ。そんな感じ。
どうやらそれは恐怖からくるもののようだ。現実を直視したくないが為に具体化を避けたい。しかし現実を避ければ避けるほどやる気がなくなっていき、これ本末転倒。目的に近づいているかどうかわからなくなれば、具体的な理解・全体的な把握がなければ自分がやっていることが何につながっていくのか、どこに向かって走っているのか構造的な理解ができなければまた具体的にわかることを避けるという悪循環。
まずは全体を把握しよう。そして数字を落とし込むことで希望を具体化し、現実を飲み込むことでやる気を奮い立たせていく。たまには根拠のない自信も大切。自分の内から湧き上がる探究心が最も必要。やるかやらないか、またはやったかやってないのか、それだけ。
あと一気に全部解決できると思うな。思ってないけど無駄は少しにしたいという恐怖。この恐怖と戦うしかない。面白おかしく生きたいのであればなおさら。
写真は津金学校。